ぜひ出会ってほしい人がいます
日本を愛している人も、今の日本に絶望し希望を見失っている人にも、そして、生きる意味を見失っている人にもぜひ出会ってほしい人がいます。
「1人ひとりの認識の変化から人間の無限の可能性を開き、アメリカを超え世界をリードする日本を創り、Win-WIn、ALL-Winの世界を実現させる」と、世界レベルの大きなビジョンを持ち、日本の和の精神をアップデートできる”nTech(認識技術)”を開発し23年間ブレることなく一貫性を持って実践し続けているNoh Jesuさんです。
僕がコミニケーションや人間関係、心の問題を解決する技術を教えてくれた人であり、日本人としての誇りを取り戻し、絶望と閉塞感を感じていた日本の未来に希望を感じさせてくれた人でもあります。
僕は、彼と2006年に出会いました。当時は、ビジネスで成功し大金持ちになりたくて、アメリカ式の成功哲学や自己啓発を学んでいる時でした。Nohさんの話は他のセミナーや講座では聞いたことのない内容でとても新鮮でした。
農業社会から産業革命を経た大きな時代の流れ、現代社会が抱える様々な問題、個人の心の問題や人間関係の問題など様々な問題の根本原因と解決方法、そして悟りに至るまでとても幅広い内容でした。その中でも、一番心が震えたのがJAPAN MISSION(日本の使命)でした。
「日本は真理の国、悟りの文化が日常に溢れている」
「侘び寂びの心、和の精神が世界を救うんだ!」
「侍の悟りは、瞑想して悟るのとは次元が違う!」
「日本は恒久世界平和に導く使命がある!」
熱く語る強烈なメッセージに、魂が揺さぶられました。
この人、本氣だ!命をかけてる!
そう感じました。
それまでは、アメリカが最先端で日本は遅れている、日本の文化は堅苦しくてカッコ悪い。そう思っていましたので、当然、日本人としての自信も誇りも持てずにいました。だから、日本が世界を救うなんてことは1mmも考えたことはありませでした。
しかし、Nohさんと出会い、かつて日本は勇気とチャレンジ精神で世界と戦った大きな心を持っていたことや戦争に負けGHQの政策によって日本人の精神がズタズタにされてしまったこと、敗戦の影響で日本人は無意識的に根深い諦めの気持ちを持ってしまっていることなどを知りました。
このままじゃダメだ!
Nohさんのビジョンに共感し彼が代表を務める人材教育の会社で日本から新しい時代を創ることに力を注ぐようになりました。
しかし、ある時、力強くリードしているNohさんに頼り過ぎ、自分自身が日本の文化について何も知らない状態で活動していることを反省してあり方を見直しました。
韓国人であるNohさんが、
なぜそこまで日本にこだわるのか?
なぜ和の精神が世界を救うのか?
侍の悟りとはどんなものなのか?
なぜ日本なのか?
自分なりに日本の文化を調べ始めました。
禅の思想から入り、その土台となる仏教や老荘思想を調べていくうちに日本文化の根底には悟りがあることを理解しました。
また岡倉天心の「茶の本」からは、茶室が身分の差をなくした平和の空間であることや不完全なものに美を見出す日本人独特のモノの見方や感性のことを知ってどんどんお茶の世界に引き込まれて行きました。そして、実際に茶道を体験したい気持ちが強くなって毎月茶道サークルに通うようになり、もうすぐ4年目を迎えます。
身分の上下もない平和な空間(茶室)で主人と客が一体となる。日本文化の素晴らしさや美しさに感動するようになり、日本人に生まれてよかった…と心から思えるようになりました。
さらに、抜刀道を通して、全てを背負い命をかけて戦う侍の真剣勝負の世界を肌で感じ、侍の悟りの一端に触れることができました。
あぁ…Nohさんが言っていたことは、こういうことだったのか…
知識と体験が繋がって、Nohさんが熱く語っていたことが腑に落ちました。
宗教、カルトなど幾多の誹謗中傷にも負けずに23年間も日本の可能性や底力を信じ、日本人以上に日本の未来を考え、私たち日本人が心の奥にしまい込んでしまった侍の魂を目覚めさせるメッセージを発信し続けてくれていることに心から感謝しています。
1人の日本人としてこの想いに応えないわけにはいきません。これからは僕自身の言葉でJAPAN MISSIONを語って行こうと思います。
この様に、僕はNohさんと出会って変わりました。日本の未来に希望を感じるだけではなく、日本から新しい時代を創るという志も持てるようになりました。
だから、日本を愛している人はもちろん、日本に絶望している人も、生きる意味を見失っている人も、ぜひNohさんの話しに真剣に耳を傾けてみてほしい。
私たち日本人が心の奥深くにしまいこんで忘れてしまった日本人の魂を呼び覚まし、必ず未来への希望と生きる意味を見出すキッカケになります。
Bushido~山形で受け継がれる抜刀道の精神~
抜刀道家の友人 阿部吉宏さんが講師を務めるということで、これは絶対に参加しないといけない!ということで、
先日、山形市創造都市推進協議会主催 第13回Creative Cafe「Bushido~山形で受け継がれる抜刀道の精神~」に参加して来ました。
会場は到着するとすぐに、「来てくれると思っていました。」とハグで迎えてくれたことがとても嬉しかったですね^ ^
講演はわら巻きを真剣で斬る迫力満点の演武から日本刀の歴史、抜刀道、武士道の精神などサムライ好きには堪らない内容で、とても感動的は講演でした。
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●剣と刀の違い
・刃が両方に付いているのが剣(ソード)
・刃が片方だけに付いているのが刀(セイバー)
●日本刀について
日本刀は1000年の歴史がある。
日本刀に反りを取り入れたのは、平将門と言われている。
●居合と抜刀の違い
・居合…座った状態で刀を鞘に収めた状態から所作の美しさも含め武士道を体現する。
・抜刀…立った状態で刀を鞘から抜き、当時の侍が感じていたであろう生死をかけた緊張感の中で武士道を体現する。
●抜刀術と抜刀道の違い
抜刀術は人殺しの剣術。そこに精神性を入れたものが抜刀道、さらに所作の美しさが加わると芸になる。
●刀の側面を”しのぎ”と呼ぶ。
ここからしのぎを削るという言葉が生まれた。
●武士道の精神
・「武」は 、「戈」を「止」めると書き、混沌を整理するという意味もある。
・袴の7つのひだは、義、勇、仁、礼、誠、名誉、忠義をあらわす。武士道とは、心意気。
●刀には神が宿ると言われる所以
・三種の神器の一つに剣がある。
・刀鍛冶が神に祈りを捧げ魂を込めて打つ。
(祖父が鍛冶屋だったので、祖父の姿が浮かびました)
・子や孫が生まれた時に送る守り刀、子や孫を悪いものから守ってくれるように…と純粋な愛と祈りが込められている。これらが刀には神が宿ると言われる所以。
●刀の重さ
830g~900g 重いと1日中持って戦うことができないから1日中持っていられる重さになっている。
●阿部さんが抜刀道場を開くまでの物語
14歳の時に出会ったひとつの新聞記事がきっかけで「兜割りかっこいい、兜割りがしたい」その一心で居合の道に進み、いくつか道場を渡り歩き兜を割った本人と運命的な出会いを果たす。厳しい修行の末えに全国優勝をするなどの実績を積み、自分が理想とする抜刀道を伝えたくて道場を開いた。
闇討ちされた父の仇を討つため、強くなるため修行をはじめ抜刀術の秘伝を得て、見事、仇討ちに成功した。阿部さんによると、人を殺したくて、抜刀の秘伝を得たわけじゃないとのこと。強くなった姿を父に見て欲しいという、純粋な子ども心、想いの強さ。愛の力で強くなれるというお話。
●最強の敵
最強の敵は弱い自分。
今、勝利している強さをもう1度思い出して欲しい。
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と、盛り沢山の内容で、ますます武士道の世界に興味が湧いたのはもちろんでしたが、阿部さんが兜割りに惹かれ、兜を割りたい…その一心で居合の道に進み道場を開くまでの物語と居合道の祖・林崎甚助源重信公の父と子の愛の物語には心が震えて涙が出ました。
美しいなぁ… と。
この話は、ぜひ阿部さん本人から聴いていただきたいです。きっと心に響くものがあるはずです。
それから、海外からの観光客が増えているけど、京都、沖縄、北海道、美しい景色を見に来ているわけじゃなく”日本人”を見にて来ている。「日本人をもう一度取り戻すことが理想であり悩みである。」とおっしゃっていましたが、とても共感しました。
日本人とは、日本人の心だと思います。
日本人の心とは、武士道の精神、茶道の精神、そしてそれらに共通するの和の精神だと思います。その美しい精神を取り戻したい。
僕の魂がそれを求めているからこそ、阿部さんと出会い、阿部さんを通して武士道と出会ったのだと思います。
2年後の2020年、東京オリンピックの時には、誇り高き侍の精神とDNAを持った1人の日本人として、日本の美しい精神を表現していきたいと思っています。
武士は、一瞬、一瞬、今ここを美しく生きる
そんな生き方をしていこうと思います。
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恒久世界平和への祈り~靖国神社で受け取ったメッセージ~
8月15日は終戦の日。
終戦から73年が経ちました。
今日は、2010年に初めて靖国神社を訪れた時に感じたことを綴りたいと思います。
みなさんは靖国神社と聞くと、どんなイメージを抱きますか?
A級戦犯?
靖国問題?
右翼?
戦争美化の発信地?
タブー?
etc.
様々なイメージがあると思います。
僕自身は、右翼、A級戦犯など、どこか触れてはいけないものという印象を持ち敬遠していました。
初めて靖国神社を訪れたのは2010年の1月頃、背筋がピンと伸びるような独特な雰囲気を感じました。
靖国神社の境内には、東京裁判で最後まで被告人全員の無罪を主張したインドのパール判事の顕彰碑や侍の歴史から近代の戦争の歴史に関するものを展示した遊就館がありました。
遊就館にはゼロ戦などの戦闘機の他に沢山の遺品や遺書が展示されており、遺書には故郷や家族を想う心情が綴られていて、とても胸が痛みました。
後半の展示室では、壁一面にずらりと並んだ戦争で亡くなられたの方々のご遺影を眺めながら
この方々はどんな想いで戦ったんだろう…
お一人おひとりの想いを馳せていると急に涙が溢れて泣き崩れてしまいました。
切ない…
戦争の悲惨さや若くして逝った方々のことを想うとしばらく涙が止まりませんでした。
この方々が命をかけて日本を守ってくれたから、今の僕らの命がある…生活がある…
命をかけ大切なものを守ろうとした深い愛を感じ、言葉にできないほどの感謝と尊敬の念をいだきました。
そして、この方々の魂は世界の平和と幸福を切に願っている。そう感じました。
この方々の死を無駄にしてはいけない!
この日以来、靖国神社は恒久世界平和への祈りと誓いの地となりました。
「いのっちって、クローズだよね!」~カフェ・ミヤマでの衝撃①~
今までは、志や人工知能に関することを書いてきましたが、少しづつ僕自身のことも書いて行こうと思います。
今は人前で話したりブログやSNSで自分の考えや意見を堂々と発信できるようになりましたが、実は・・・小学生の頃から長年コミニケーションや人間関係のことで悩んできました。
近所の友達と遊んでいる時に同じものを見てもみんな言うことが違う。だから、この世には絶対にこうだと言えることはないんだ。それなら言ってもしょうがない…
そういうことを思っていたせいか、誰と話している時も自分が思っていることをうまく表現できない。何か言いたくて必死にしゃべろうとしても次の話題に移ってしまって、結局何も話せないまま話が終わってしまう。
そんなことが殆どでした。
だから、どうやったら上手に話せるようになるんだろう…と、真剣に悩んでいました。
ある時、本屋で1冊の本を手に取りました。心理学の本です。
パラパラとめくってみると解決のヒントが書いてあるような気がしたので、じっくり読んでみたくなりました。だけど、自分が悩んでいることを誰にも知られたくなくて、本は弟に買いに行かせました(苦笑)
その本には、あいづちを打ちながら話を聞く、おうむ返しにして話しを促す、他人の話は否定しないで聴く、話している人の目をきちんと見るといったコミニケーションに関する様々なスキルが書いてありました。
特に印象に残ったことは、"他人に必要とされる人は、人の話をよく聴く人だ"と書いてあったところです。
自分のことを話すのは苦手だけど、他人の話なら聴けそうだ!と希望が持てました。それからは、意識して友達や両親の話を聴くようになりました。
成長するにつれて彼女ができて付き合うようになるんですが、「いのっちは何を考えているのか分からない。」「いい人すぎて、私にはもったいない・・・」「いのっちの話はぜんぜん面白くない、元彼の話の方が面白かった。」と、フラれてばかりでした…_| ̄|○
なんでいつもフラれてばかりなんだろう…話を聞くだけじゃダメなのか…と、また別の悩みが出てきてしまいました。
それだけではなく、大人になってからも自分のことは話さず、他人の話しばかり聞いているので、自分でも何を考えているのか何を感じているのかさっぱり分からなくなり、人と関わるのは面倒だなぁ~と感じるようになっていました。
そんなある日、カフェミヤマ渋谷公園通り店で衝撃が走りました!
偶然知り合った教育関係の仕事をしている人とお茶をすることになって、その日もじっくりとその人達の話を聴いていました。すると突然、
「いのっちってクローズだよね!
私、コミニケーションが循環しないと気持ち悪いの~」
え!?クローズってなに?コミニケーションが循環するってどういうこと?一瞬、頭の中がパニックになりました。
どういうことなのかを訊いてみると、心を閉ざして自分のことや本音を話さないこと。会話が一方通行になってしまっている。ということでした。
自分のことや本音が言えないことを自覚していましたので、「そうですね…。」と素直に認めました。それと同時に、あぁ…ようやく自分の気持ちに気付いてくれる人がいた…という安堵感もありました。
本当は自分の話をじっくり聴いくれる人が欲しかったんです。上手く話せない、言語化できないもどかしい気持ちに気付いて欲しかったんです。
それからは、徐々に心を開いて少しづつ自分ことを話せるようになっていきました。
言語化するまでのペースが遅くて話しがまとまらないにも関わらず、言語化できるまでじっくり待って話しを聴いてくれる。そんな人と出会ったのは生まれて初めての経験でした。
今でも忘れないこの衝撃的な経験は、のちにコミニケーションや人間関係の問題解決につながっていきました。
シンギュラリティ(技術的特異点)について
みなさんは「シンギュラリティ」という言葉を聞いたことはありますか?
僕が初めてこの言葉を聞いたのは2011年でしたが、つい最近までは、自分には全く関係ないことだと思い気にも留めていませんでした。
アルファ碁がきっかけで人工知能に関心を持って調べているうちに、半導体の世界的メーカーでトップを務める小池淳義さんの本と出会い、「シンギュラリティ」のことを詳しく知ることで自分だけではなく、この時代に生きる私たち一人ひとりに関係があるテーマで真剣に取り組まなければいけないと考えるようになりました。
シンギュラリティ(技術的特異点)は簡単に言えば”人工知能(AI)が、人類の知能を超える時点”のことで、2045年に来ると予測されていてます。また、人類が破滅するかもしれない危機"とも言われています。
2045年は、今から27年後です。
生まれたばかりの赤ちゃんは27歳になり、20歳の人は47歳、40歳の人は67歳、60歳の人は87歳になります。僕は今、39歳なので、66歳の時です。みなさんはいくつになっていますか?
さらに、2030年頃にはプレシンギュラリティ(社会的特異点)が来るとも言われており、社会が一変しこれまでの常識や価値観が全て覆され、すべての前提条件が成立しなくなるとも言われています。
では、AIが人類の知能を超えた時にどうなるのでしょうか?シンギュラリティの何が問題なのでしょうか?
この本に書いてあったことに少しだけ僕の考えを交えて書いてみようと思います。
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①AIと医療技術の進化によって人間が死ねなくなる可能性がある。
今まで人間はいつか死ぬことを前提として生きてきたのに、死ぬことさえもできなった時に、何のために、なぜ生きるのか?が問われる。
②AIの進化によってマシーン自らが目的を持つようになった時に、人間を奴隷と扱うような時代になる。
人間よりも遥かに高度な知能を持ったAIが人間をどう定義するのかによってはあり得ることだと思っています。
だから、人工知能が定義するよりも早く、わたし達が自ら人間とは何なのか?その問いに答えを出さなければならないと思っています。以前、未来学者のアルビン・トフラーが「21世紀人類と使命は、人間の再定義」だと言っていましたが、今がその時だと思います。
③10年後には、今人間がやっている仕事の90%がAIやロボットに奪われる。
これついては肯定的に捉えています。今までやっていた仕事はAIとロボットに任せて一人一人が好きなことを表現していけるようになると思います。
10年以内に無くなると言われている仕事をしている人は、その仕事がいつか機械に取って代わられることを想定し、次の一手を準備しながら生きていく必要があると思います。
④脳の記憶を全てデジタル化して、外部記憶装置に保存できるようになる。
人間とロボットの境界線が無くなり自分と同じ記憶を持った人型ロボットが誕生した時に、人間とロボットの違いは何なのか? 自分とはいったい何なのか?が問われる。
⑤現実とバーチャルの区別ができなくなる。
現実とバーチャルの区別ができなくなるのだったら、そもそも現実とはいったい何なのでしょうか?
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このように、今まではSF映画の中だけの話だと思われていたことが、現実になる可能性が高く、一言で言うと人間の存在意義が問われていると言えます。
シンギュラリティについては、様々な意見がありますが、先日、山形大学の工学部で開催された小池さん講演会で直接お話しをお聴きして、シンギュラリティは起こると僕は確信をしました。
シンギュラリティ初めて知った方もいらっしゃると思いますが、みなさんはどう思いますか?
よろしければ、ご意見をお聞かせください。コメントお待ちしております。
人口知能の光と影の両面を見つめて
先月のことですが、「AIMY-山形県人工知能コミニティ」さんの勉強会に初めて参加させていただきました。
「顔認識技術の現状と未来」というテーマで、AIMY代表の大垣さんから、顔認識技術の概要や、技術がどのような形で活用されているのか、そして、個人情報の流出や犯罪への利用などの危険性についてのお話がありました。
その後、顔認識技術はどんなことに活用できるのか?についてディスカッションをしました。
以前のぼくは、本音が言えず周りに合わせてばかりで、仕事を抱え込んで1人で何とかしようと頑張り過ぎてしまった性格から心身ともに病んでしまった経験があったので、顔の表情から感情を分析する技術を活用してこんなアイディアが浮かびました。
①なかなか本音が言えない人のために、人口知能(AI)が表情を分析して「今、何か思ってるよね…」、「もしかしてこんなこと思ってるのかな?」、「こんなこと感じているのかな?」「本音を言っていいよ」と、促して本音を引き出すことで、深い対話のきっかけにしたり…
②ついつい我慢して頑張りすぎてしまう人のために「かなり疲れがたまっていますね。ストレス度90%で、そろそろヤバイです。休んだ方がいいですよ。仕事を減らしてもらいましょう。」と、AIが診断した結果を持って、上司に相談してうつや過労死を未然に防ぐきっかけしたり…
他にもいじめの防止にも活用できるというアイディアが浮かびました。
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人口知能の活用方法を考えるのは初めての経験でしたので、とても新鮮でした^ ^
全ての人が、このように人間の悩みを解決することや、愛と思いやりからAIの技術を活用していくことが理想だと思うのですが、今までの歴史をみると、必ずしもそうではないケースがあります。
これは、極端な例かも知れませんが、純粋に物理学の研究をしていた研究者が原子爆弾の開発に駆り出されたこともありました。
結果、広島と長崎に原子爆弾が投下され、数十万人もの尊い命が奪われました。
人口知能もそのように戦争に使われたり、犯罪や監視に使われる可能性は十分にあると思います。
全ての物事には光と影の両面があります。
ぼくは、どちらか一方だけをみていては不十分だと思います。光と影の両面を見つめながら調和するポイントをみつけていく。その必要があると思っています。
そのためには、技術の進化と同時に人間の意識の進化も必要だと考えています。ぼくがお伝えしている「nTech(認識技術)」はそれを可能にします。
ですから、1人でも多くの人がこの新しい技術に関心を持ってくれたらとても嬉しいです。
そして、人口知能やロボットとも共存し、愛と思いやりの溢れる平和な世界を創って行きたいと思っています。
■AIMY-山形県人工知能コミニティhttp://ai-master.jp/
■nTech(認識技術)http://special.nr-grp.net/
人口知能と人間の可能性
こんにちは^ ^
みなさんは、"人工知能(AI)が囲碁で人間に勝った"さらに、"人間を破った人口知能がもっと進化した人口知能に歯が立たなかった"という話を聞いたことはありますか?
ディープマインド社が開発した人口知能(AI)、「アルファ碁」と「アルファ碁ゼロ」のことです。
囲碁は、人間が生み出した最も複雑なゲームで、機械が人間に勝つのは不可能と思われていました。しかし、ディープラーニングという新たな技術によって人間棋士の過去の膨大な対戦データを取り入れて学習した「アルファ碁」が世界最強棋士のイ・セドルさんに圧勝しました。(アルファ碁の4勝1敗)
そして、その次に登場したのが「アルファ碁ゼロ」。人間棋士の過去の膨大な対戦データは一切使わず、碁盤と囲碁のルールのみを教え、自ら数百万回の対局をこなして学習しアルファ碁と対戦して100戦100勝とつけいるすきを与えなかったそうです。
この話を聞いたとき、人間は、膨大な情報の整理と最適な判断をくだせるAIに勝てない。
それだけではなく、アルファ碁とアルファ碁ゼロを開発したディープマインド社の最高経営責任者(CEO)兼共同創業者のデミス・ハサビス氏が、「最も衝撃なのは、もはや人間のデータを用意しなくても済むことです」と述べているように、最適な判断をくだすために人間が過去に蓄積してきた体験や経験の膨大なデータが意味を成さなくなり、必要が無くなったのだと思いました。
これはヤバイ!それは面白い!危機感とワクワクした両方の気持ちになり人工知能のことをもっと知りたい!人間はその先へ行く必要がある!と感じました。
そこに行くためのヒントは、イ・セドルさんが挙げた1勝にあると思います。アルファ碁を狂わせた、神の一手。本人曰く、「その手しかなかったから、仕方なく打った」のだそうですが、その一手がアルファ碁を狂わせてセドルさんが勝利した。
人間にしかできない"閃き"
そこに重要なヒントがあるような気がします。
みなさんは、アルファ碁とアルファ碁ゼロの話しから何を感じましたか?
もし、よろしければ感想や意見を教えてくださいね。コメントお待ちしています^ ^